《小説家・知念実希人先生》医学部の可能性
医学部に入学したら卒業後は医師になり、臨床や医学研究をしていかなければならない。将来の選択肢が狭まってしまう。
そう思っている方は少なくないかもしれません。それは、ある意味では間違っていません。医科大学は医師になるための職業訓練校という側面があるので、医学生は六年かけて医師になるための基礎を学び、そして大部分が医師となって臨床や研究の場で活躍していきます。
ただ、卒業生の中には私のように、おかしな道へと進んだ例外もいます。
自己紹介をしておきますと、私は2004年に慈恵医大を卒業し、医師になったあと、2012年に第4回福山ミステリー文学新人賞という文学賞を受賞し、ミステリー作家としてデビューしました。その後、作家としての活動を続け(ただ週に一回は医師として外来も行っています)、現在までに三十冊ほどの作品を刊行しています。2020年には著作である『仮面病棟』が映画化され、また2017年から三年連続で本屋大賞にもノミネートして頂きました。
(運営註:知念実希人先生のツイッターはこちら)
さて、私がどうしてこのような道を選んだかというと、単純に子供のころから作家になることが夢だったからです。ただ、日本には作家志望者が二十万人ほどいるにもかかわらず、小説だけで生計が立てられるのは二百人もいないとも言われています。つまり、実に0.1%しか成功しない厳しい世界なのです。それを知っていたため、夢はあくまで夢にとどめて、私は父や祖父と同じ医師を志しました。
父を尊敬していましたし、医師は誇りあるとても素晴らしい職業だと思っていたので、そこに迷いはありませんでした。そうして私は医学部に入学し、医師国家試験に受かり、初期臨床研修へと進んでいきました。
しかし、初期臨床研修の二年目に、研修医はどこの科に行くかという、人生における大きな選択を迫られます。多くの場合、そこで選んだ科の医業が、生涯の仕事となります。そのとき、私のなかで子供の頃からの夢がむくむくと膨らみはじめました。ここで夢を追わなければ一生後悔する。そう考えた私は、同級生たちが「内科」「外科」「精神科」などと進路を決めていくなか、一人で「小説家!」という訳の分からない選択をしたのです。
ただ、小説家になると決めたあとも医師が素晴らしい仕事だという思いは変わっていませんでした。また、頑張ったからと言って小説家として成功できるという保証はありません。なので、残念ながら夢破れた場合、医師として生計を立てていけるよう、最低限の実力は身につけなるべきという現実的な判断をしました。そうして初期研修後、厳しい病院で内科医としての後期臨床研修を受け、日本内科学会認定医の資格を得てから、本格的に執筆活動を開始したのです。
療養型病院に勤め、定時に勤務を終えるとそのままカフェやファミリーレストランで日付が変わるまで執筆を続けるという生活を四年ほど続け、なんとかデビューを果たすことができました。とはいえ、前述のように作家を取り巻く状況はかなり厳しく、統計的に新人作家が五年後も小説家として生き残っている可能性は5%程度と言われる世界なので、デビュー後もかなり苦労はしました。それでも、研修医だったころ厳しい修業時代に比べればこの程度なんてことはないと、歯を食いしばって乗り越え、作家として成功を収めることはできました。
さて、ここまで読んできた方の中には、せっかく苦労して医学部に入り、医師になったのに、それを無駄にしてもったいない、と思った人もいるかもしれません。けれど、決して無駄にはなっていません。私の作品の多くは医療ミステリーで、「現役医師にしか書けない医療知識を使ったトリック」を売りにして人気を博しています。また、「医療現場のリアルな描写」もありがたいことに高い評価をいただいています(よろしければ、ぜひお手に取ってみてください)。
作家というものは、人生で経験した様々なことがらを自らの中で咀嚼し、物語という形に変換して世に送り出していく職業です。つまり、医学生時代に学んだ医学知識、そして臨床現場での様々な経験が、私の作家としての土台になっているのです。
人によっては、医学知識はミステリー小説などを書くためではなく、病気で苦しむ人を救うために使うべきだとお考えかもしれません。ただ、私の作品を読むことで、外からは見ることができない医療現場に対する理解を深めたり、様々な疾患に対する知識を得て自らの健康に役立てている人も少なからずいらっしゃいます。これも、医療知識の有効な利用方法ではないでしょうか。また、最近は私の著書を読んで医師や看護師を志したという学生からの声を頂くこともあり、とても嬉しく思っています。
最初に書いたように、卒業生の多くが医師になるということで、将来が狭まるという見方もありますが、医師というのは科によって生活が大きく違います。外科に進み、バリバリと手術をする者。内科で患者さんと二人三脚で治療にあたる者。アカデミックな分野に進み、研究によって多くの人を救おうとする者。医系技官や政治家となり、医療政策にかかわる者。比較的、拘束時間が少ない科に進み、趣味を充実させる者。本当に道は様々で、私の知り合いの中でも、医師として勤めながら音楽活動に精を出す者や、プロの格闘家として活躍する者までいます。また、医学の知識を使ったビジネスを構築して、起業した卒業生も決して少なくはありません。
このように、医学部で学ぶことで将来が狭まることは決してなく、他の学部以上に様々な選択肢を享受することができるのではないかと思います。なにより、病で苦しむ人を癒し、苦痛を取りのぞくための学問である医学を学ぶことは、それ自体は意義あることではないでしょうか。
もし医学に興味がありながら、まだ将来を決めたくないということで医学部に入ることをためらっている方がいたら、この文章が一歩を踏み出すきっかけになればと願っています。
(医学科2004年卒 知念実希人)