《小泉瑠伊》受験体験記

私は高校1年生から医学部に入りたいと考えていた。理系科目があまり得意でなく文系科目が得意だった(文系を目指した方が圧倒的に有利だと先生に言われた程である)ため、文系の良い大学に行って良い会社に入れればいいと漠然と考えていた。しかし、父親と2人でご飯を食べた時、AIに仕事が取って変わられている今日であっても、医師という職業は必要不可欠でなくなることはなく、かつとてもやりがいのある仕事であると思うから視野に入れてもいいのではないかと提案された。なぜかわからないが、その時医師になりたいと強く思った。後から考えれば医師になりたいと思う理由はいくつかあった。まず親戚が医師であるということ、そして私の出身校である暁星高校は医学部志望者が多いということ、最後に中高6年間陸上競技部に所属していたのでその経験を活かせるスポーツ医療に興味があったということである。父親とご飯を食べた後、申し込んでいた予備校をすぐキャンセルし、医学部専門予備校に申し込んだ。異常な程の行動力であったが、あれがなければ今慈恵にはいないかもしれない。慈恵の存在を知ったのはオープンキャンパスに行った高校1年生の夏である。西新橋キャンパスは今ほど綺麗ではなかったが、講堂に入る前に自分の好きな飲み物(たしか私は午後の紅茶を選んだ)を貰えたことを覚えている。そこから2年が経ち、慈恵が私立の第一志望となっていた。その理由は3つあった。まず最初に西新橋キャンパスが家から近いということである。小中高と徒歩通学であった私にとってこれは非常に重要な決め手であった。次に暁星高校から慈恵に多く進学するということである。最後の理由として「病気を診ずして病人を診よ」という慈恵の建学の精神が臨床医を目指す私に合っていると感じたことが挙げられる。

本格的に受験勉強を始めたのは高校2年生の冬であるが、数学は苦手科目だったため高校1年生から『一対一対応』という問題集をできるまで何周もして勉強していた。数学に関わらず、私はわからない問題にチェックして、何周もしてチェックのついた問題をなくしていくという勉強法をとっていた。何回解いても解けない問題がどの教科にも現れ、その時は自分の不甲斐なさを感じた。しかし解き続けると、チェックのついた問題が次第に減っていって確実に力が付き、自分の自信にもなった。『一対一対応』に関しては最終的に解けない問題をほとんど無くした。『一対一対応』が終わった後も、苦手意識があったので数学に最も時間を注ぎ込んだ。最終的に慈恵の難しい数学の問題を辛うじて解けるようにまでなった(と勝手に思っている)。苦手教科は大抵嫌いな教科であることが多く、皆勉強することを避けがちであるが、多くの時間を使って多くの問題を解くということが苦手教科を克服する方法であると思う。

受験勉強で辛かったことはなんだったかと聞かれると全部と答えたくなるが、受験体験記に収まりきらないので絞って述べたいと思う。まず同級生のほとんどが部活動を辞めてしまった時期(2の冬から高34)である。前述した様に私は中高6年間陸上競技部に所属し、高校3年生の5月まで部活を続けた。皆部活を辞めたことで勉強時間が増え、学力が上がる中で、私だけが勉強時間を確保できずに置いていかれるのではないかと不安になった。その中でも後悔したくないと思い、部活を最後まで続けた。後から振り返るとこの選択は間違っていなかったと思う。引退前に辞めたとしても、勉強に集中できず中途半端な結果になってしまっただろう。次に高校3年生の夏休みである。8時から13時、14時から19時、あとは寝るまでの時間勉強し、12時間は勉強時間を確保していた。単調な毎日の繰り返しであったため、集中力が切れることもあった。その時は家で勉強することを諦め、予備校の自習室に行った。すると気持ちが切り替わり、勉強に手をつけることができた。また、予備校には大抵友達がいたのでいい気晴らしにもなった。最後にこれは時期に限ったことではないが、受験勉強は睡魔との戦いであった。睡魔が襲ってくる時間帯があり、長期休みでいえば昼飯後、普通に学校がある時は学校が終わって勉強を始めた直後であった。その時間帯が来た時、必死に眠気に抗い、勉強を続けようとしたが無駄であった。結局眠気に対する1番の解決策は机の上で仮眠(1015分程度)を取ることなのである。私は目覚ましをかけなくても自然に起きることができたが、机の上でも爆睡できるという方は目覚ましをかけた方がいいだろう。夏休みが終わり、皆が着実に伸びている中、私はあまり伸びなかった。慈恵は最後までE判定であった。なぜこのような状態でも慈恵に受かったのだろうか。それは慈恵に受かりたいという一心で最後まで諦めずに勉強し、それによって大幅に伸びたからだと思う。周りは伸びているのに自分は伸びておらず、焦っている方もいるかもしれない。しかしどこで伸びるかは人それぞれである。そして最後の最後まで学力は伸び続ける。このようなことは毎年予備校で言ってるはずであり、あなた方もきっと耳にするだろう。そして本当にそうなのかと疑問に思うはずだ。私もそうであったがこの言葉が本当だったことが実証された。

最後になるが、この言葉を信じて、自分のやっていることに自信を持って最後まで頑張ってほしい。そして慈恵で会えることを楽しみにしている。

(医学科1年 小泉瑠伊)