慈恵合格体験記
(写真:ミスノート裏表紙&数学)
1.医師になろうと思った理由
小学生のとき、学習塾で国語の授業で読んだある文章がきっかけで医師を志すようになりました。その文章では、日本のような先進国がアフリカやアジアからの食糧輸入量を減らすことで飢餓で亡くなる子どもが劇的に減り、飢餓問題が解決出来るだろうと書かれていました。なぜなら先進国は、アフリカなどの多くの子どもたちが飢餓でなくなる国から輸入した大量の食糧を廃棄しているからです。その文章を読んだとき、そんなことを知らされたって、日本の食糧輸入量を減らすことなど個人にはとうてい出来ないことだと思った小学生の私は、医師になって現地に出向いて直接飢餓で苦しむ子どもたちを救えば良いのではないかと思いました。これが私が医師になりたいと思った理由です。 医学部に入学するまで、本当に私は医師になりたいのか、どうして医師でなければならないのかと何度も考えさせられました。アフリカの飢餓問題や貧困問題を解決するには教育分野や経済分野からのアプローチの方が医療よりも即効性があり必要とされている事なのかもしれませんが、わたしは大規模なことよりも現地で目の前にいる人ひとりの役に立ちたいと思い、医師が最適な職業だと思いました。目の前にいる人の役に立ちたいという気持ちが今まで医学部に入りたいという気持ちを強くしてきました。
2.慈恵を第一志望にした理由
私は、高校在学中に1年休学をして語学留学をしたので英語が得意でした。ですので、英語が得意科目で、それが理由で現役のときは英語の配点が高い学校を中心に受験しました。浪人することになり、現役のときに一緒に塾に通っていた友人が慈恵に入ったことをきっかけに慈恵を知り、夏のオンラインでのオープンキャンパスに参加してみました。私は現役のときも含めて、たくさんの大学に足を運んで実際にオープンキャンパスに参加していたので、オンラインのオープンキャンパスにあまり期待していませんでした。しかし、オープンキャンパスの最初に建学の精神を紹介され、「ここだ。」と直感的に思いました。そこで受験を決めました。要するに建学の精神にビビッときて一番気に入ったので、慈恵を第一志望にしました。私は自分が通うことになるかもしれない学校は見ておきたいというタイプだったので、11月ごろに実際に愛知から東京に来て、国領キャンパスと新橋キャンパスを見ました。わざわざ東京に来たのですが、ほんとに国領と新橋のキャンパスの周りをぐるっとあるいて帰りました。
3. 後輩へのメッセージ
受験に際して、やってよかったこと3つを紹介します。
1 つ目は、自分のミスを書き出すノートを作ることです。浪人が決まった 3 月から受験の直前まで、私はずっとノートに自分のミスを書いていました。 物理の先生に勧められたのがきっかけだったのですが、英語・数学・化学・物理のすべての科目でノー トを作っていました。入試直前はそのノートだけを見ていました。 これまで自分がやってきたことを信じて、ノートを見直して頭にたたき込んでいました。
2つ目は、思っているほど敵は多くないと言うことです。受験会場にいるすべての人に勝たなければいけない訳ではありません。慈恵は五反田TOCが会場で、会場に入ると、こんなにも多くの受験生と闘わなければならないのかと弱気になってしまいますが、抜かさなければならないのは全員ではありません。そのことを思い出して、私は自分を落ち着かせていました。
3つ目は、受験当日のルーティンについてです。受験当日は移動や試験のスケジュールなど、普段の生活と違うことが多いです。慈恵はほとんど関東出身の人が多いのですが、私は愛知県出身で連日東京会場で受験するために、1月末から2週間ほど東京のホテルに滞在していました。その中でも私は、朝食や昼食をなるべく普段通りにすることを心がけていました。眠くなるからと行って朝食を軽めにするのを好む方が多いのですが、試験日の昼食時間は遅いことが多く、試験問題の回収を待ったり、お手洗いに並んだりして昼食をとるのが遅れることがあります。なるべくしっかり朝食を食べることをおすすめします。また、私は寒がりだったので、お昼の暖かいスープを飲むために、朝ホテルでスープジャーに用意して持って行っていったり、温かいノンカフェイン(お手洗いに行きたくなるのを防ぐため)の紅茶も持って行ったりしていました。午後も試験時間はかなり長いので、私はしっかり昼食を食べるようにしていました。
最後に、親に感謝することを忘れないでください。私は自分の合格は半分ぐらい母親のおかげだと思っています。勉強以外のことを心配せずに打ち込める環境を作ってくれました。それは当たり前のことではないと今になって痛感しています。 受験生という特殊な環境を思う存分利用してほしいです。
(医学科1年 日下部愛依)※2023年1月掲載