《瀧本悠樹》合格体験記 私の場合
私が医学部受験を考え始めたのは、浪人して成績が伸びてきた秋頃になります。私は0歳の時から13年間米国で暮らし、中学2年の夏に聖光学院中学に編入しました。日本人がほとんどいない地区で長年楽しく暮らしてきた私は、教育システムの違いに戸惑い、遅れた勉強を取り戻そうという意欲もなく成績は低迷したままでした。現役のときは特に行きたい学部もなく、ただ日本語が苦手という理由で理系を選択しました。
当然の結果として高校卒業後は予備校生活を送ることになったのですが、浪人して気付かされたことがいくつかあります。まず基礎がとても重要であるということです。私は現役の時に、基礎学力がなかったにもかかわらず、学校で周りの学力にあわせた自分には釣り合わないテキストや問題集をやっていたため、何も身に付きませんでした。そこで、予備校の授業が始まるまでの間に参考書で基礎固めをし、授業が始まってからは予復習をしっかり行いました。また、解説を読むときには重要な箇所(赤字や太字で書かれている部分)だけでなくすべてを熟読することによって、理解を深め応用力を身につけることができることに気付きました。現役のときは、周りの友人が学校の先生のところに通って質問や添削を頼んでいたにもかかわらず、私は頑なにそれを拒否していましたが、浪人してからは、分からないことは積極的に先生に質問するようにしました。
このように勉強方法を根本的に改めることによって、成績が飛躍的に伸び、秋頃には医学部受験が視野に入るようになりました。医学部受験を考えた始めたのは、父親が医師であり身近な職業であったこと、そして現役で慈恵に進学していた友人からの刺激が大きかったと思います。しかし、医学部受験のことを十分に調べないまま出願の時期になってしまい、医学部と他学部の両方を受験することにしました。実際に医学部対策を始めたのはセンター試験が終わってからです。面接対策は予備校でも多少してもらいましたが、基本的にはインターネットや面接対策本から情報を得て家で行い、慈恵の友人からもアドバイスをもらいました。志望動機を考えることは、どうして自分が医師になりたいと思ったのかを再確認する良いきっかけになり、遅ればせながら医師として社会に貢献したいという思いが強くなりました。ただし、最初から医学部志望の方はこのようなことはもっと前から準備しているものと思います。私の場合、医学部にどうしても行きたいという気持ちが強くなったのが2月だったので、受験真っ只中の2月に入ってから他大学(後期)の願書を書き始め、志望動機欄を仕上げるのにかなりの時間を費やしてしまいました。
慈恵を選んだのは、友人が楽しそうに通っていたこと、そして臨床と研究の両方に携わることができる環境と国際交流に魅力を感じたからです。実際に入学してみると、私のように海外歴の長かった人も意外に多く、様々なバックグラウンドを持つ同級生に日々刺激を受けています。受験生の皆さん、最後まで諦めずに頑張ってください。慈恵でお待ちしています。
(医学科1年 瀧本悠樹)