《A.O.さん》慈恵に入るまで
私は慈恵に入学するまでに他の人よりとても遠回りをしました。でも、その遠回りに悔いはないし結果的に慈恵に入学できて本当に良かったと思っています。
まず、現役生(高3)になっても将来何がしたいのかピンときませんでした。とりあえず理系を選択したものの、文系学部(記述式の社会などが受験科目になければ意外と受験できます)も視野に入れていました。おそらくこのような優柔不断な受験生は珍しいと思います。高校の科目のなかで生物が好きだったことと、手に職を持ち自立して生きる女性に憧れていたこと、心理学・行動学・哲学・文学・生命科学などにも興味があったことから、すべてに関連するのは医学部だと思い、さんざん迷った末医学部受験に心を決めました。ですが、やはり将来が漠然としていたうえ、「どうしてもここに進学したい」という大学が見つけられませんでした。高校は進学校でしたので、周囲は早々に目標を定めて黙々と努力している一方、成績もモチベーションも中の下といった感じの私は劣等感までもぬぐえず、そのまま受験に失敗し、浪人生活に突入します。そして恐ろしいことに一浪の1年間をかけてもその状態から抜け出せず、満足のいく結果は得られませんでした。それと同時に本当に医師になりたいのかもわからなくなってしまいました。これまでの人生で一番といったくらい追い詰められましたが、これからの人生のかかった最後のチャンスだと思い、二浪目の受験では様々な大学、学部を受験しました。結果的に色々な大学・学部から合格をいただくことができましたが、その中で最も通いたいと思ったのは慈恵でした。
ところで慈恵の受験をお考えのみなさんは、もう学生募集要項をお読みになられているでしょうか。募集要項のなかには、『東京慈恵会医科大学は、多様な医師を輩出したいと考えています。「自分」を大事にする人は、「他者」の価値を認める方だと考えています。』『東京慈恵会医科大学は、世界でたった一人の「自分」が考えたことを「他者」に伝えようと努力する人を求めています。』という記載があります。正直なところ、私はこの記載を見てはじめて慈恵に心ひかれました。こんな面白い説明をパンフレットから見つけたのは慈恵が初めてだったからです。大学に入るにあたり私が最も心配していたことは、また自分の進むべき方向が分からなくなって立ち止まってしまうことでした。しかし、この文章は、慈恵でなら自分を見失わずに興味の赴くままに医師としての道を模索していけるのではないかといった予感を私にさせました。実際に入学してから、この予感は間違っていなかったという確信に変わりました。慈恵では学生ひとりひとりの学びの機会を最大限尊重してもらえます。例えば、教養ばかりの1年時からも希望すれば医学系の研究室に出入りさせていただけたり、課外実習ができます。実習や講義は学生が主体性をもって取り組むように構成されています。先生方はどなたも学生に親切で、相談にすぐにのってくださいます。グループ学習を大学で推奨しているので学生どうし助け合って理解を深め合い、ともに試験は乗り切ります。先輩後輩の関りも密で、横のつながりだけではなく縦のつながりも大事にされています。大学に入ってからも勉強のこと、人間関係のこと、日々の生活のことなど色々と悩むことはありましたが、信頼できる先生、先輩、友達にいつでも相談できるということが、日々心強く、また楽しく充実しています。
なぜこんな身の上話をさせていただいたかというと、将来や志望校に悩む受験生のお役に少しでもたてたらと思ったからです。勉強法や受験の戦略などといったことはどなたかが書いて下さっていると信じて、せっかく"リアル"をお届けするならば毛色の違った合格体験記をお届けできればと思いました。私だけでなく周りの友達も色々なバックグラウンドを持って、ひとそれぞれに興味を持ち、日々を楽しんで慈恵での生活を謳歌しています。「こんな人もいるんだ」「慈恵って面白そうな大学だな」と思っていただければ幸いです。慈恵でお待ちしています!
(医学科1年 A.O.)