「楽しい」受験のすすめ
僕は鳥取県の出身です。コンビニが定時で閉店し、駅の改札には駅員さんが立って切符を切っており、朝は隣家の鶏が鳴き、夜はコイン精米のバラックがほんのり光をともすような辺境の地で、僕は過ごしました。そんなのんびりした地域で、僕はのんびりと勉強し、のんびり一浪して(?)、慈恵に受かりました。特に、浪人中は高校に併設したNPO法人で、競争意識や序列意識が薄く、勉強の楽しさを強調する優しい先生方に囲まれて、楽しく受験勉強することができました。当然、受験に対するストレスや不安などはありましたし、うまくいかないこともたくさんありましたが、すべての受験が終わった今、かの日々を思い返すと、楽しい思い出です。(楽しい思い出すぎて、今でも時々高校の教科書を読んだり、スタディサプリを見たり、センター試験の過去問を解いたりしています...狂気ですね)王道とはいいがたいルートを経て慈恵に合格した僕の、随分独りよがりな一家言ですが、勉強の息抜きがてら、しばしおつきあいください。
僕はとにかく飽きっぽい学生でした。要領や記憶力が特段優れたわけでもなく、しかも努力することが苦手なタイプの学生でした。そんな生徒が医学部、さらには慈恵を受けられるくらいまで勉強できたのは、偏に「高校の勉強内容が楽しかったから」だと思います。僕は、国立の受験では国語も共通テストも必要だったので、かなり幅広く受験対策をしましたが、どの科目にもそれぞれの嗜みがあって、さらに知れば知るほど「自分が住んでいる世界の解像度」が増していくのが感じられ、勉強している間ずっと楽しかった。古文漢文を学べば、普段自分が目にする熟語の構成が、確かに文法規則に則っていることがわかります。理科を学べば、目に見える自然現象の原理や、普段使っている日用品や電子機器の仕組み、さらには自分自身の体の中身で起きていることまで知ることができます。社会を学べば、現代に起こっている様々な事象に対して、その背景や現状について、理解が深まります。できることが増えていくこの様は、まるでゲームのステータス上げに近しい高揚感を、僕に与えてくれました。(ゲームと違うのは、勉強がサ終するときはそれすなわち世界が終わるときと言えることでしょうか)
当初、僕が慈恵を受験校として選択したのは、日程や、偏差値などを加味した実利的な理由でした。(さらに言うと慈恵を受験校として見つけてきたのは僕ではなくて母でした)。そして、受験対策のために、過去問を受験応援サイトから印刷してきて、さっそく、びっくり。交流電流に関する問題が出題されていたのですが、問題の流れるものが「電子」ではなく「血液」だったのです。すなわち慈恵は、電磁気学の発想がある程度生理学に反映されるということを、受験問題を通して学生に「教えて」くれていたのです。慈恵は、受験問題を解きながら、「ああ、また少し世界への解像度が上がったぞ」という気持ちにさせてくれたのです。それは、化学や数学、英語、小論文などについてもいえることでした。受験の枠内だけで学問は完結していない。今学んでいる内容を押し広げてより広い世界を知ることができる。さらには、医学は医学だけで完結していない。自然科学、人文科学、社会科学などの知識の延長の一端として存在する学問なのだ、と慈恵が語っているように僕は感じました。二次試験も同様にテーマパークのような多様な楽しみがあり、受験が終わった後、「この学校に行きたい」と感じ始めたのをよく覚えています。
何事も頑張らないといけないと思うと、苦しくなりがちです。特に受験は、長期戦になることもあって、自分の意志で決めた進路でも、いつの間にか「やらされている」という気持ちになってきて、投げ出したくなったりすることもあるかと思います。そういう時は、一端受験のことは忘れて、自分の興味に従った勉強をしてしまうのもありだと僕は思います。「是を知る者は是を好む者に如かず、是を好む者は是を楽しむ者に如かず」ともいうように、まず内容を好きになってしまうことは、勉強中の精神衛生にも、ひいては学業成績にも好影響することだと僕は思います。人生でこんなに勉強できる機会はなかなかありません。引き続きお勉強を楽しんでください。
(医学科1年 杉浦公祐)※2023年1月