命脈

始まりは,ある一つの巣からでした.

 それは,綺麗なお椀型をしていました.一本一本の細い枝が重なり合い,その内側に居心地の良さそうな空間を作っています.目の前にあるその緻密な造形に,素直に感動しました.小学2年生の頃でした.

 メジロ.古典の中で「鶯」と称され,日本で愛されてきた小鳥.その小鳥の作る巣は,決まって,Y字型に分岐する枝に,挟まれるように設けられます.もうとっくに住人のいなくなったその古巣を,庭にある木から,母親が見つけてきたのです.

 「 蜘蛛は卵を産むときに,頑丈な特殊な糸を出す.メジロはそれをハンモックのように枝にわたし,植物を絡み合わせて巣を作る.」 調べると,こう書いてありました.

 蜘蛛の卵の産む時期と,メジロの巣作りの時期が重ならなければ,こういう巣は見られないのかもしれない.

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生き物の行動と,生き物の行動が,その時期を絶妙に重ね合わせ,いま,目の前にある造形がある.8歳の僕には,そのことがとても美しいことに思えました.

僕にも作れるのではないか.様々な場所に,巣の材料を求め出ていきました.当時よく遊んでいた公園,植物が茂って虫がいそうな空き地.それまでなんとなく過ごしていた場所が,また違って見えてきました.

なかなか集まらなかった材料をなんとか組み合わせ,自分で巣を作ってみました.ひどい出来でした.その小さな体で,一体どうやって材料を集めてくるんだ.巣に使えそうな糸を張る蜘蛛の居場所を,どうやって把握するんだ.どうやったらそんな緻密な,美しいお椀型が作れるんだ.メジロには,たくさん聞きたいことがありました.

当時の僕は,ヒトが一番頭が良くて,誰にも負けない生き物だ,と考えていたのでしょう.いや,他の生き物と並列して考えるという発想が,そもそもなかった様な気がします.自然に生きる生き物の知恵と,その器用な職人芸.野生生物に,ある種の尊敬の様なものを,生まれて初めて,僕は抱きました.それからというもの,野生の生き物たちの営みが,気になって仕方がなかったのです.

冬になると,優しいクリーム色に染まりきった葦原を,ひたすら歩き続けます.シベリアやアラスカで繁殖する,北方からの渡来者,コミミズクに出会うためです.おおよそ1週間もそれを続けると,コミミズクのねぐらを見つけることがあります.夕刻から,あるいは陽が落ちてから狩りを始める彼らは,昼間は地面に降りて,休んでいるのです.

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数メートルも距離を置かないで,ねぐらで対峙をすると,彼らの姿が,触覚を刺激するような質感を伴って目に入ってきます.カムチャッカか,シベリアか,あるいは,ベーリング海を越えたアラスカか.その一本一本の羽毛が,僕の憧れる,彼らの繁殖地から,僕のすみ慣れた,関東平野まで,数千キロの旅路を見てきたのでしょう.見渡す限りに広がる北の大地の風を浴びて,時に冷たい雪に覆われて,如何なる時も,彼らの体温に触れてきたのでしょう.野鳥の羽や,鹿の角,海亀の骨.様々な生き物たちの落とし物にロマンがあるのは,彼らと,彼らの浸かってきた環境が,詰まっている気がするからなのだと思います.

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コミミズクたちが北へ帰り,関東に春が訪れると,ツキノワグマが冬眠から目覚めます.授業が終わって家へ帰り,車中泊用の布団を実家の車に敷き詰め,夜中のうちにフィールドへ移動します.翌朝,日の出と共に山へ入り,美しい朝陽に迎えられ,陽が落ちると,フクロウの声に包まれながら,夜の山を出てくるのです.

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クマやカモシカをはじめ,ニホンジカ,ニホンザル,アナグマ,タヌキ,そして,美しい音色で囀る小鳥たち.山で出会う住人は,それぞれが個性的です.ツキノワグマは,力強いであろう体を持ち,器用に木に登っていきます.冬には冬眠をする技術を身につけ,ニホンザルたちが木の皮を食べながら乗り越える雪の日々を,暖かい穴の中で越していきます.あれほど力強い肉体を持ちながら,どんな野生動物も襲うことが少なく,石をひっくり返して,蟻を舐めたり,どんぐりのたくさん落ちる林に集まってくる様は,なんとも愛くるしいものです.あれだけの肉体をその餌で生かしていくのは,様々な苦労があるのだと思います.夏のツキノワグマは,ほとんど飢餓の状態だ,と聞くこともあります.数という意味で強いのはニホンジカです.あらゆるフィールドに足跡を残し,あらゆる場所で食害の原因として,人々の頭を悩ませています.そのフォルムは美しく,森を颯爽と駆け抜けていく様を見ていると,遠い,幼い日々に読んだ,おとぎ話の世界へ入った様な感覚を抱きます.

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それぞれが弱さと強さを持ち合わせ,その環境に適応して生き残っているのです.思考の対象の生物を,小さく小さくしていっても,あるいは,大きく大きくしていっても,競争や,捕食―被捕食の関係,そしてその場にある環境との戦いが,フラクタルに広がっているだけなのです. 肉眼では観察し難いプランクトンの仲間でさえ,世代時間が短いのを利用して,形態を変化させながら,捕食から逃れ,また,捕食する側も形態を変化させ,捕食できるように努めています.アラスカに棲むカリブーは,失血死させられてしまうほどの蚊の大量発生から逃れるため,時期を選んで氷原に移住せざるを得ない.そうやって,どこへ行っても,どんな形に進化しても,どんな大きさの世界へ行っても,逃げようのない,生き続けることの難しさがある. そんなことを考えていると,僕ら生まれ落ちた命にある,容赦のない宿命を,ひどく痛感させられるのです.そんな関係が数十億年も続き,現存の種が,今を生きている. 存在するということは,それだけで,競争で今のところ負けていないという,唯一で,かつ他にしようのない証明みたいなものになっている.あらゆる生き物が,厳しい生命の宿命を感じさせるような存在でありながら,しかし同時に,存在するだけで,種として,今のところ負けていないということを証明する存在でもあるのです.

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と,ここまで野生の生き物たちの棲む環境や,彼らの姿についてばかり話してきました.しかし,生き物を探すという営みが平坦に続いていく中で,新鮮な衝撃があるのは,ヒトとの出会いです.二頭のツキノワグマが,秋に住み着いた別荘街がありました.山へ通うのを一旦やめて,僕はここへよく訪れました.

 「夫が亡くなってね,それから5年くらい,しばらくここに棲んでるんです.たくさん動物たちが遊びに来るのよ.」

 別荘街の,ある一軒の家から出てきたおばあちゃんは,熊に会いにきた,というと,嬉しそうに色々なエピソードを話してくださります.

 「くまさんはね,うちの裏が獣道になっていて,そこを通るのよ.前に窓の下を通ったことがあって,私悪戯してみようと思って,バケツの水をジャってかけてみたの.でもね,なーんにも気にしない風で,ゆっくり歩いて行ったのよ.自分は強いって,わかっているのね」

 「シカさん(彼女はカモシカのことを「シカ」と呼ぶ.)はね,私とお花の好みがそっくりなんです.ユリ科のお花が好きでね.だから私の好きなお花が,ぜーんぶ食べられちゃうの.」

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「私ね,お猿さんと話せるようになりました.後ろにお花を植えているんだけどね,お猿さんが食べちゃうことがあって,私出ていって,『こら,それは食べてはいけません.』って怒ったら,しょーんぼりして,山へ帰って行ったんです.お猿さんは何でも食べちゃうから,,農家の人たちは大変なんでしょうね.去年200頭駆除したらしくて,最近は来なくなっちゃったの.なんだかそれで寂しくて.」

 誰にも会わず,誰とも話さず,たった一人で何時間も山を歩いている時,突然猿の群れに出くわすと,話が通じるんじゃないかという感覚を抱くことがあります.ひどい時は「くまさんみなかった?」なんて,話しかけてしまうこともあるくらいです.おばあちゃんなら,きっとその感覚をわかってくださるでしょう.

しかし,農家の方とお話しすると,もう少し容赦のない,時に激しい言葉を伺います.

「にいちゃん,イノシシには気をつけな.でかい声出して,あんなん追っ払ってやりゃいいんだ.あんな畑荒らしには,死んでもらいたいくらいだ.」

「お兄さん,生き物にお詳しいなら,ニホンザルの正しい駆除方法を,市役所に教えてほしいです.この前林を切ったのだけど,全く効果がなくって.」

クマの出没を恐れ,張り巡らされた電気柵,イノシシ除けに設置された超音波装置,シカの食害を避けるため,木々に巻かれた生分解性ポリマー.生き物と,その環境を共にする方々の知恵に触れると,そこには,どれだけ技術が発達しても,ヒトは生物の一種である,という当然のことが,切実に提示されているのに気がつきます.しかし,憎みながらも,どこか愛らしい隣人として捉えている様なところも垣間見えるのです.

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生き物好きとして,自然の中へ入っていると,それは,<観察者―被観察者>という関係に留まってしまうけれど,里山に暮らす方々から出てくる言葉は,どれも,<ヒトー他種>としての関係を体現している.それは,共に生きていく,ということに他なりません.自然の中で生きる方々のもつ,野生への質感には,強く惹かれるものがあります.フィールドの姿は,ある程度有限です.しかし,そこに住む方々と話すと,そこには無限の世界が広がっています.人生の中でできる経験なんて限られているし,幾多の分岐点が存在する.合同になり得ないその人をその人たらしめる文脈こそが,最も複雑なストーリーを歩みうる生き物であるヒトの,そこ知れぬ魅力を作り上げているのでしょう.以前,大学生の頃から途上国や中央アジアを旅し,今は沖縄やザンビアで地域医療に携わる,医師の方とお会いしました.先生は,「ヒトの生きる知恵が好きだ.」とおっしゃっていました.医師という立場は,ヒトという生き物と向き合う,最高の職業なのかも知れません.

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最後に.感動できる様な何かというのは,なかなか出会うものではありません.一生出会わない人も多いでしょう.けれど,もしも出会うことがあれば,それを追い続ける中で,きっと様々なものを見せてくれると思います.僕が医学を志したのは,実は,生き物を追う延長線上に立ち上がった目標でした.これまでのことを振り返ると,それは「木」の様なものでした.自然が好きという「幹」を持ち,生き物に会い続けることでその「幹」を育て,その中で,人や生き物との出会いから,写真,研究,医学,,と,「枝」を分岐させていく.この先どの「枝」を伸ばし,そしてどの「枝」から新たな「枝」が分岐するのかは,自分の心のことであるのに、僕自身も本当にわかりません.どこの学生だ,とか、職業は何だ,とか,何の賞与を得た,とか,端的にカテゴライズする言葉は,便宜上いくらでも存在します.しかし,それは「木」の、その時点での断面的なものでしかありません.受験が終わって,大学生になれば,きっと,それまでよりは自由な時間をとりやすくなります.もしも感動できるものに出会ったら,じっくりと向き合い,自分の心に耳を澄まし,大切に育ててみてください.

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(医学科3年 佐藤宏樹)※2023年1月掲載