私は
(写真:ワカスタでの活動風景)
先に謝っておきます。この文章、慈恵については全く触れていません。とある慈恵生の取るに足らない、ただの独り言です。慈恵のことを知りたくてこのサイトを開いてくださった方、ぜひほかの記事をお読みください。
私は普段、大学の勉強のほかに、マーケティングとお芝居に取り組んでいます。
マーケティングは、地元の友達に声をかけてもらってはじめました。広告代理店ADK内の「ワカスタ」のメンバーとして活動しています。 お芝居は、単発のワークショップに参加して学びはじめたところです。 マーケティングやお芝居のワークショップ、これらの場で医学生に出会ったことは今のところありません。マーケティング団体のメンバーはみな、広告業界を志す大学生ばかりです。お芝居のワークショップも、お芝居を生業としている方々ばかり。映画にもドラマにも舞台にも出演経験がないのは私くらいのものです。それでも、やりたいから、やっています。場違いだろうが身の程知らずだろうが、そういうのは気づかないふりをしています。
ところで、「医学生」というのは、世間では結構インパクトがあるようです。実際、どこへいっても、「医学生の」○○さん、と認識されます。 最初はそこに違和感しかありませんでした。他の学部の大学生はそんな風に呼ばれたりしないのに。しかし、慣れとは怖いものです。いつの間にか、医学生のパブリックイメージがそのまま私のイメージになることに疑問を持たなくなりました。なんか違うけどまぁいいか、そんな感じです。
マーケティングもお芝居も、自分自身がどんな人間であるかを知っている必要があります。つい最近、偶然自己紹介の機会が続きました。 周りがしっかりと自分を説明する中で、私が自信を持って言えたのは、医学生であること、ただそれだけでした。20年以上も一緒に生きてきた自分のこと、たったの3文字、しかも専攻。まぁいいかの積み重ねのツケです。 とはいえ、学生という立場で簡潔な自己紹介を求められたのならそれでいいし、むしろそれが正解でしょう。でも、言わないと言えないは違います。
何を思って、何に惹かれて、何と闘って生きているのか。自分を自分たらしめるものは何か。 数年前、浪人生の頃なら、きっと言葉にできたはずなんです。だって、そうするしかなかった。浪人生は、学生とも言えないし、社会人とも勿論言えない。社会に認められる肩書がないからこそ、自分は何者か、自分で導き出す答えだけが、唯一の支えでした。
入学してからの3年間、医学に限らず、さまざまな分野で学びを得ることができました。失ったものの存在に気づけたことも、考え方によっては学びのひとつでしょう。あとは意識して取り戻していくしかありません。幸い、大学生活はあと半分残っています。 「私は」 の先につづく言葉を探しながら、大切に大切に過ごしていきたいと思います。
(医学科3年 S.Y)※2023年1月掲載