病気の必ず回復すべきを確言せられたり
新一万円札の表図柄になることが決まった、渋沢栄一。
渋沢栄一は、本学とも大変関わりが深い人でした。渋沢は、日露戦争が始まった明治37年の11月にインフルエンザに罹患し、やがては中耳炎も発症します。さらには肺壊疽の初期と診断され、さすがの渋沢も死の影を意識したそうです。ところが、学祖・高木兼寛は、断固として悲観論を退け、渋沢を力強く励ましました。渋沢は『先生は断固として是を斥け、病気の必ず回復すべきを確言せられたり。此の時も果たして快癒して今更に先生の明晰を感謝したりき』という一文を残しています。学祖・高木兼寛の医の姿勢に感銘を受けた渋沢は、有栖川宮妃殿下のご尽力により1907年に社団法人東京慈恵会が発足した時に、経営全般に亘って支援することになります。
学祖・高木兼寛と渋沢栄一の関係について、本学附属病院HPでシリーズ連載中です。第1回はこちらから。