「治療費は国が出します」
1868年、「鳥羽伏見の戦い」から戊辰戦争が始まり、鹿児島で蘭方医学を学び始めた学祖・高木兼寛、は軍医として新政府の東北征討軍に加わりますが、野戦病院では役に立たず大村藩の医師達から「薩摩に医者はいないらしい。」と嘲笑されてしまいます。その前年、渋沢栄一は徳川昭武に従いパリ万国博覧会に参加するためフランスへ渡航します。渋沢らは、静かな教会の中庭で、シスターが負傷兵を介護しているところに出くわしました。 案内役の神父から、ここは廃兵院で国のお金で治療が行われている事を聞き、渋沢は衝撃と感銘を受けます。 これからの日本は、こうならなくてはいけない。そう強く思ったのです。一方、高木は猛勉強の末、周囲の人々の助けで英国セント・トーマス病院医学校(写真)へ留学します。
学祖・高木兼寛と渋沢栄一の関係について、本学附属病院HPでシリーズ連載中です。第2回はこちらから。