保護者の目線で感じた慈恵のこと

私自身、「人間は平等」と小さい頃からさんざん言われてきました。

しかし、学校に通い始め社会に出てみると、至るところで不平等を思い知らされます。外見は分かりやすく、背の高い子、低い子。貧乏な子や、お金持ちの子。病気がちの子もいれば、風邪をひいたこともない子。あまり深くは意識しないながら、幼少期から「平等の嘘」を薄く感じていました。必死に勉強をしても成績が伸びない子もいれば、全然勉強をしなくても成績が抜群の子もいます。運動神経だって、良い人とそうでない人の差は歴然としています。癌とか糖尿病などは、持って生まれた遺伝子によって、なりやすい人となりにくい人がいるそうです。性別・人種・国籍などによる問題は、更に根深いものがあります。色々と例を挙げましたが、「個性」や「多様性」という言葉を使うべきなのかも知れません。世の中には様々な人がいる。その中で「多様性」を尊重しつつも公平な「平等」を確保する。社会にとって、とても難しい課題です。

さて、昨今は大学医学部における差別的入学選考について問題となりました。男性・女性の差別、年齢的差別などで随分と世間を騒がせました。コロナ禍であまり話題にはならなくなりましたが、受験生の皆さんにとっては切実な問題であることは変わりありません。

我が家の息子も6年生となり、コロナ禍の真っ只中に卒業することになりそうです。息子は、高校卒業後に自身の進路が決められず、大学推薦もすべて辞退して、放浪生活を始めました。引き篭もって本ばかり読んでいたかと思えば、色々なところへ旅をしてみたり、国内外の美術館・博物館巡り、そして音楽、という具合でいやはやどうなることかと思っていました。転機はそんな生活の果てに1年間イギリスに留学をしていたことだと思います。我が家は医師の家系ではなく、はじめは建築美術系を志すつもりだった様です。全容を本人から聞くことはありませんが、多くの出会いや経験があったのでしょう。「医師になる道を志す」と言って、帰国し予備校に通い始めました。様々な経験や人との交流で得るものは多かったと思いますが、心配だったのは、慈恵に限らず、高校卒業から期間の空いた、いわゆる多浪生を受け入れてくれるかどうかでした。

結果は無事合格。

入学してから分かったことですが、慈恵医大という大学は「平等」ということに重きを置いている様です。その前身が有志共立東京病院という、貧しい人々のための施療院ということもあるからでしょう。学祖の高木兼寛先生の『病気を診ずして病人を診よ』という言葉は、「病気」などの「属性」で人を画一的に扱うことせず、「病人」という、個々の悩み苦しむ「人格」に対して誠意を持って関わりなさい、と仰っていると感じます。「個性」を尊重し「多様性」を無視しない。そうしてこそ、社会にとって豊かな「平等」というものが実現できる。高木先生には、その様な視野があったのではないでしょうか。

入試においても、「平等」と「多様性」というものが重要視されていると考えています。息子が入学しているということも証左でしょうし、息子の話を聞くと、様々な属性やキャラクターの学生が在籍している様です。入学式で、学長先生が「君達は(すべからく)慈恵の宝です」と仰っていられたのが印象的です。他の医大と較べて落第する学生が少ないのも、合格点や進級基準に満たない学生をすぐに切り捨てる、ということをせず、個々の学生と向き合い手厚く支援をする、そういう体制が整っているからなのではと思います(そうあって欲しい、という私自身の願望も含めてですが)

長くなりましたが、医療関係には明るくない私の所感を述べさせていただきました。コロナ禍でオンライン化が進み、人との直接の関わり合いが希薄になる時代が到来するのかも知れません。その様な中、「人」の本質を診ようとする慈恵医大の精神は益々重要なものとなってくるのではないかと思います。将来が見通せない中、受験勉強を頑張るのは辛く大変なことでしょうが、もしこの文章が進学先を選択するにあたって少しでも参考となれば幸いです。お読み下さりありがとうございました。

(写真は慈恵の研究室配属で、息子(白いシャツ)がアフリカに行った時のものです)

(医学科学生保護者 A様)